目次
はじめに
終わりのない家事。
褒められることも評価されることもない家事。
ましてやお金にもならない家事。
私は家事をしている時間が大嫌いでした。
まるで自分が召使いか雑用係になったようで、みじめで腹立たしくて、苦痛でたまりませんでした。
「どうせ私はこの家の奴隷よ!」と家族の前でブチ切れることもしばしばでした。
そんな苦しい時間を、16年間過ごしてきました。
でも、今、私はこう思っています。
「家事は誇り高い仕事」
そして、「いってらっしゃい」と家族一人一人を送り出し、「おかえりなさい」と迎えられることに幸せを感じています。
なぜ180度考えが変わったのか。
少し長くなりますが、そこまでの紆余曲折をお話ししたいと思います。
私の経験が、「家事はみじめ」と思っている方の変化のきっかけになればと思います。
家事と育児と仕事に忙殺、必死の毎日
私は結婚前も結婚後もフルタイムでバリバリと仕事をしていました。極めたいと思っていた分野の仕事でしたし、海外勤務や出張もありやりがいがあるので、私にとって「仕事=生きがい」でした。
加えて、専業主婦だった母からは「女も手に仕事をつけなさい」と言われて育ってきました。
昭和の多くの家庭がそうだったと思いますが、「男は外、女は家」が当然で、外で働いて稼ぐ父はふんぞり返り、母はただひたすら家のことや田畑の仕事、子どもたちと姑の世話をしていました。
我慢と苦労ばかりだった母からの、「女も手に仕事をつけなさい」という言葉は私にとても重く響いていました。
だからこそ、私はキャリアを積み上げて、給料も役職も男性にひけをとらない仕事をする女性になりました。
でも、結婚して子どもができると「育児」という大きな仕事がのしかかってきました。
主人は協力的ではありましたが単身赴任の時期もあり、子どもが母親を必要とする部分も多く、育児の負担はどんどん重くのしかかっていきました。
「育児は重い」と言っても、自分が決めて産んだ子どもですし、かわいいもの。
専業主婦だった母が、愛情と時間をかけて私を育ててくれたように、私も子どもに愛情と時間をかけたいと思いました。でも、フルタイムのハードな仕事をしながらでは無理がありました。
家事・育児・仕事で必死の毎日を送っていましたが、どんどんストレスが溜まり、主人に大爆発したり、ヒステリーのように子どもを怒鳴りつけたりということが増えていきました…。
家庭には負のエネルギーが渦巻き、いつ崩壊してもおかしくないような状況でした。
そんな綱渡りのような生活を16年間。
子どもたちは大きくなり、少しずつ手が離れてきたころ、私の中に「このままでは後悔する」という思いが湧いてきました。
母親として、
子どもたちとしっかり向き合いたかった…。
子どもたちにおかえりと言ってやりたかった…。
家族でもっと丁寧に時間を過ごしたかった…。
あと数年もすれば、独立していく子どもたち。
母親としてやりたかったことをしないままでは、自分自身が後悔する。
その思いが強くなり、意を決して25年間極め続けキャリアアップしてきた仕事を辞めました。
仕事を辞めて家庭へ、みじめの始まり
最初の1年間は、穏やかな時間でした。
いってらっしゃい、おかえりを言ってやれる。
家事に時間をとって丁寧な毎日が過ごせる。
自分のための時間も持てる。
とても幸せでした。
でも、1年が過ぎた頃から気持ちがざわざわとし始めました。
手間暇かけて料理をしても「ありがとう」と言ってくれるわけでもない、
汗をかいて家中をぴかぴかにしても、気づくわけでもない。
冷蔵庫を開ければ飲みたいジュースがあって、シャンプーがないと思えばストックがあってということの陰に、重たい荷物を持って買い物をしていることに誰も思いをはせてくれない。
この家のきれいさも、生活のしやすさも、栄養を考えた食事も、家族にとっては「当然」。
私は透明人間。透明な召使い…。
しかも、いわゆる「仕事」をしていないという後ろめたさも出て来て、自分のしたいこと買いたいものを我慢するようになり、その姿は我慢と苦労ばかりで可哀そうだなあと思っていた母の姿と重なっていきました。
みじめ、みじめ、みじめ。
家事をするたびにみじめで、
感謝も労いの言葉もない家族が腹立たしくて。
でも、家庭に入ることを選んだのは自分で。
自分が選んだ道をみじめだと思う自分がまたみじめで。
みじめ、みじめ、みじめ。
みじめのループに入っていきました。
幼少期を振り返り家庭の光と影に気づく
しばらく、みじめのループで苦しい気持ちを味わいながらも、そこから抜け出る道を探していました。
そしてある時、自分の過去を振り返る機会に出会いました。そこで、祖母のこと、両親のこと、兄姉のことを丁寧に思い出していきました。
私は自分が育った家庭環境は「普通」だと思っていました。
嫁姑の争いや、両親の離婚寸前のけんか、首を絞め合うような姉妹げんかもありましたが、どこの家庭でもあることだろうと思っていました。
でも、自分の過去を克明に振り返っていくうちに、
母をいじめぬいたとてつもなく身勝手な祖母
亭主関白で男尊女卑でデリカシーのない父
苦労と我慢の末に闘病して早く亡くなった母
父や姉と性格が合わず早い時期に家庭を出た兄
私のあらゆることをバカにして罵り続けた姉
その中で、
家族の顔色をうかがいながら、怒られないように、嫌われないようにしてきた末っ子の自分のことが思い出されてきました。
まるで昨日のことのようにカラーの動画で記憶が蘇り、その記憶を振り返りながら心臓が高鳴ったり、腹が立ったり、泣いたりしていました。
「そんなに辛かったんだ…」
その時、ようやく私は家庭環境で辛い思いをしてきたんだと気づきました。
そして、「辛かったんだ」と認められると「そんな辛い家庭環境でよく頑張った」と自分を褒めてやりたい気持ちが出てきました。
徐々に自分が育った家庭環境への思いが消化されていく中で、辛かったけれどそこから得られたことにも気づけるようになっていきました。
とても意地の悪い祖母でしたが、若いころ海外で暮らしていた経験もあり、私に未知の国の話をたくさんしてくれました。私が海外に興味を持って、海外で働く道を選んだのは祖母の影響が大きかったんだろうと思います。
亭主関白で母をこき使っていた父ですが、とてもまじめでいつも一生懸命な人でした。私が何事にも一生懸命取り組めるのは、この父の気質があるからだろうと思います。
専業主婦の母は、姑と夫にいいように使われて、言いたいことも言えず我慢と苦労ばかりでした。でも、子どもが大好きで、近所の子どもたちの面倒をよく見て周囲にとても慕われていました。私は人が苦手と言いながらも、なぜか困っている人に手を差し伸べたくなるのは母の血が流れているからなんだと思います。
兄は、面倒くさい人たちばかりの家族にうんざりしていたのでしょう。比較的早い段階で精神的・物理的に家族から離れていきましたが、たまに家に戻ると余計なことを言って、食卓の空気を凍らせていました。でも、「家族のことは気にするな。淡々と自分の道を行け。」と背中で教えてくれていたように思います。
そして、私をありとあらゆる言葉を使って罵り倒し、「私はバカで、どんくさくて、センスもなくて、歌も絵も下手だ。」と思い込ませた姉は、「どんなに酷いことを言われても、それをバネにして成長しろ!」ということを、実地でしかもかなりのスパルタで教えてくれたんだと思います。姉がいなかったら、私はこんなにたくましくはならなかったし、留学したり大学院まで行くような人には決してなれなかったと思います。
辛い家庭環境でしたが、家族一人一人が私に与えてくれたものが確かにありました。
そのことがわかったとき、私があの家族の元に生まれたこと、しかも末っ子として生を受けたことの意味がわかりました。そうでなければ、今の私はいないのだと。
家庭環境の大切さを知り、家事が輝きだす
血が繋がっていると言っても、家族の構成員それぞれは個性があります。
夫婦だから考えが同じというわけではなく、兄弟だからといって性格が似ているわけでもありません。
みんな、違うのです。
そんな異なる人たちを「家族」という枠でくくり「家庭」を整える。これは並大抵なことではないと思います。
私の幼いころの家庭がそうであったように、みんなそれぞれ素晴らしいものを持っている人達なのに、ちょっとした考え方の違いや表現の違い、受け取り方の違いから生まれる誤解などで、とても難しい家庭環境にもなってしまっていました。
家庭を作る両親も新米。初めて家庭を築き上げていくのですから、当然失敗もあります。
発展途上の家庭の中で、子どもたちも知らず知らずのうちに多大な影響を受け、それを私のように50年間引きずってしまってしまう場合もあります。
家庭環境は、そこで育っていく子どもたちや生活をしていく家族の大切なベースになるもの。それを整えることはとても大変ですが、とても大きな意味を持つ仕事なのです。
この家庭環境の持つ意味がわかったことで、私の「家事」に対する見方が大きく変わりました。
家事は、家庭環境を整えるための大切な軸です。
家がきれいとか、ご飯が美味しいとか、そういう技術的なことではなく、家族の顔色を窺わなくてもいい居心地のいい空間や、外でしんどいことがあっても元気が出てくるようなあたたかいご飯、「いってらっしゃい」に力をもらい、「おかえり」にほっとできる、そんな家庭環境にすることが「家事」の本質。
そんな風に考えるようになると、
掃除は床を這いつくばる面倒な雑用ではなく居心地のいい空間を作るためのものに。
料理は無給の下働きの見習いコックの仕事ではなく、家族で笑顔で食卓を囲むために作るものに。
だから、多少ほこりが残っていても大丈夫、冷凍食品を使っても大丈夫。
お互いの顔色を窺わない空気とほっとできる場になっているならそれでいいと思え、家事が苦痛ではなくなっていきました。
苦痛どころか「いってらっしゃい」と全員を元気に送り出せた後には充実感が、「おかえり」と迎えられた時には幸福感がこみあげてくるようになりました。
過去を悔やまず、未来に目を向ける
とはいえ、私も我が家もまだまだ発展途上。
毎日が試行錯誤と失敗の繰り返し。
どんな家庭になるのか、どんな子どもたちに育つのかひやひやしています。
しかも、「家事はみじめだ」と思って主人や子どもたちに当たり散らしていた過去に作った家庭環境は決していいものではありませんでした。
実際、子どもたちに「お母さんのあの時の言葉は今でも覚えている」と怒りと悲しみの混ざった顔で言われたこともあります。
もう謝罪しかありません。
でも、それを悔やみすぎることは辞めました。
私も家庭でさんざん嫌なことを言われて育ちましたが、だからこそ今のたくましい私があるのも事実です。
だから、きっと子どもたちもこれまでの環境の中から得たものがあると思います。過去を後悔するのではなく、これからどんな家庭にしていこうかと未来に目を向けようと思っています。
おわりに
家事は雑用ではありません。
家事はみじめではありません。
家事は家族の心を整えるための大切な場作りです。
家族が言いたいことを言えたり、泣けたり、笑えたり。気取らず、顔色も窺わず、楽にふるまうことのできる場を作るための、とても大切な仕事です。
年齢も性格も違う個性的なメンバーがいるにも関わらずそんな場が作れたなら、なんという調整力、なんという把握力、なんという愛でしょう。
家事は、困難で、尊くて、誇り高い仕事です。