生きていると、そんな気持ちになることがあるかもしれません。
暗い闇の中を生きているようで、そこから抜け出そうとたくさんの本を読みました。
今回紹介する『それでも人生にイエスと言う』はその時に読んだ一冊です。「生きる意味」を探し続けていた私の目を覚ましてくれました。
著者はオーストリアの精神科医V・E・フランクル。ナチスの強制収容所に囚われ壮絶な体験をした『夜と霧』の著者です。
著者自身の捕虜としての経験や医師として関わった患者たちの具体例を示しながら、わかりやすく「生きる意味」について考察しています。
こんな人におすすめ
・生きることの本当の意味を知りたい人
・人生後半をどう生きていくか悩んでいる人
・自分の人生にイエスと言えるようになりたい人
目次
生きる意味は探すのではなく、答えること
「生きる意味とは一体何だろう?」
そんな壮大な問いの答えを探して、暗闇に迷い込んでしまうことがあります。そして、「自分にはもはや生きる意味はないのではないか」とまで思い悩むことも。
でも、作者はコペルニクス的転換、つまり考え方を180度転換することが必要だと言います。
私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに提起しているからです。
『それでも人生にイエスと言う』p27
生きていると、大なり小なりさまざまな出来事や選択があります。「朝ごはんは何を食べるか」「どこの会社に就職するか」「いっそ自分はいなくなったほうがいいのか」などなど。
その一つ一つが人生からの問いで、それに答えていくことが「生きること」だというのです。
人生からの問いには、正しい答えはありません。人によって違ったり、いつ答えるかによって変わったりします。その答えの軌跡が「自分の人生」になるのです。
だから、自分の人生の意味を問うことはやめて、今の自分には何が問われているのかを考えてみましょう。
どうして今自分の状況はこうなっているのか、どうしてこんな辛い気持ちになっているのか。そして、その答えを自分なりに探すのです。
決して安易に考えず、仕方ないとあきらめず。真摯に答えを探す過程で、人生の意味が見えてきます。
筆者はこうも言っています。
人生はたえず、意味を実現するなんらかの可能性を提供しています。ですから、どんなときでも、生きる意味があるかどうかは、その人の自由選択にゆだねられています。
『それでも人生にイエスと言う』p43
苦難が意味のある人生を実現する
「幸せになりたい。」
生きていれば誰でもそう思っているのではないでしょうか。でも、筆者はこう言っています。
困難に対してどのような態度を取るかということのうちに、その人本来のものが現われ、また、意味のある人生が実現されるのです。
(中略)
運命にたたかれて鍛えられることがなかったら、運命に苦悩する白熱状態がなかったら、私たちの生は形成されえたでしょうか。『それでも人生にイエスと言う』p40
辛い出来事や、理不尽と思われるような運命があるからこそ精神的に成長することができると考えているのです。
スポーツ選手は、自分を成長させるためにあえて困難な状況を作り出してトレーニングに励みます。そして、私たちはその姿に感動します。
病気や災害、破産などの困難を乗り越えて、再び立ち上がった人たちの話を聞くと勇気がもらえるのも、その人たちが運命にたたかれて鍛えられたという経験を持っているからこそなのです。
引用されていたドイツの詩人の一節が印象的でした。
「自分の不幸を足元にするとき、私は一層高く立つ」
瞬間ごとの責任が生き方を導く
「責任」という言葉は重く感じるかもしれません。人は責任は取りたくないし、責任からは逃げたいものです。
でも、著者は「生き方を導き助けてくれるもの、私たちに付き添ってくれるもの、それは責任のよろこびです」と言っています。
人が生きていくうえでは、瞬間ごとになんらかの決断をしています。それは、ほんのささいな決断でも、一つの可能性を選んで、同時に一つの可能性を失ったということ。それは、おそろしいことだと著者は言っています。
しかし、著者はこう続けます。
それでも、すばらしいのは、将来、つまり私自身の将来、そして私のまわりの事物と人間の将来が、ほんのわずかではあってもとにかく、瞬間ごとの自分の決断にかかっていることを知ることです。私の決断によって実現したこと、私が日常の中で「起こした」ことは、私が救い出すことによって現実のものになり、つゆと消えてしまわずにすんだものなのです。
『それでも人生にイエスと言う』p160
どんなに小さくても、自分の決断が現実を動かしているということです。
このように考えると、自分は何の役にも立っていないし、何もできていない、生きていても何の意味もないと考えるのはおかしなことだと思えてきます。
自分の決断はどんなにわずかでも将来の自分や周囲に影響があり、そして、それをし続けながら生きているということは、きちんと自分の選択に責任を取っているということなのです。
わずかな影響程度しか与えられないなら、やっぱり自分の人生なんて大したことはないと思うかもしれません。
でも、そんなことはありません。影響が大きいか小さいかと生きる意味とは関係がないのです。
なにをして暮らしているか、どんな職業についているかは結局どうでもよいことで、むしろ重要なことは、自分の持ち場、自分の活動範囲においてどれほど最善を尽くしているかだけだということです。
『それでも人生にイエスと言う』p32
人生は何かをする機会である
ここまでをまとめると、
・人生からの問いに答えること
・苦難に立ち向かうこと
・決断に責任を持つこと
それらが生きることの意味を教え、人生を有意義にしてくれるということです。
そう考えると、生きることに能動的であることが一番重要なことのように思います。
「自分が生きる意味は何ですか?」と誰かに聞いても、教えてくれるものではありません。ましてや、一人で頭を抱えて悩んでいても「生きる意味」は見つからないということです。
人生はそれ自体になにかあるのではなく、なにかをする機会である!
『それでも人生にイエスと言う』p58
止まっていては、何も変わりません。「なにかをする」ことで人生自体がいきいきと動き出します。
今の自分をもたげている問いに答えること、置かれた状況に最善を尽くすこと、そしてどんな困難があっても向かっていくこと。そのように動き続けることで、結果的に「意味のある人生」になるのです。
人生にイエスと言う
この本のタイトル『人生にイエスと言う』というのは、「イエスと言おう」という意思です。
どのような人生からの問いにも「イエス」と答え、どのような困難にも「イエス」と立ち向かい、どのような決断にも責任をもって「イエス」と言う。
人間はあらゆることにもかかわらず、―困窮と死にもかかわらず、身体的心理的な病気の苦悩にもかかわらず、また強制収容所の運命の下にあったとしても―人生にイエスと言うことができるのです。
『それでも人生にイエスと言う』p162
著者:V.E.フランクルとは
ヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl)はオーストリアの精神科医であり心理学者。フロイト、ユング、アドラーに次ぐ「第4の巨頭」とも言われています。
ナチスの強制収容所で苛酷な環境を生き抜き、その体験を克明につづった『夜と霧』は世界的なベストセラーとなり、今でも読み継がれています。
その他の著作も多数。
「どんな時にも人生には意味がある。
未来で待っている人や何かがあり、
そのために今すべきことが必ずある」
V.E.フランクルの言葉は、自身の経験に裏打ちされているからこそ、心に強く響きます。
まとめ
人生の意味、生きる意味は、抽象的なものではなく、神の力のような得体のしれないものでもありません。
「人生からの問いに答える」「苦難に立ち向かう」「決断に責任を持つ」
その具体的な行動の一つ一つが、人生を彩っていきます。どんなときも「人生にイエス」と言って生きていきましょう。
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